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菅義偉ものがたり②~~家出同然に故郷を飛び出した菅さんが政治家、そして官房長官になるまで

・・・この記事では、につづき現在、自民党総裁選に立候補中の菅義偉・官房長官が20代のころ政治の政界に足を踏み入れた経緯、政治家に当選するまでの流れを追っています

 

 

◆衆議院議員・小此木彦三郎の秘書に

菅さんは法政大の就職課の紹介で市ヶ谷にある法政大学のOB会をたずねます。「法政出身の政治家を紹介してくれ」と頼みます。

 

そこで最初に紹介されたのは、法政出身の政治家、中村梅吉・元衆議院議長の事務所でした。ところがこの政治家はまもなく引退するという話になり(実際に翌年に引退)、同じ派閥だった小此木彦三郎・衆議院議員を紹介されます。

 

ちょうど小此木氏の事務所で人を探してたようですね。この自身は法政とは関係ありません。はじめは法政つながりからの→党内の派閥つながりです。

 

ちなみに小此木氏は早大文学部哲学科(石橋湛山と同じですね)。名門中の名門だと思いますが、東大とか官立のエリートルートとはちょっと違う、やはり同じく私立大学の系譜に属しているという気もします。やっぱりこの辺もなんとなく菅さんの方向性と同じ感じがしますね。東大・官僚出身のエリート代議士のところではないんです。


ともあれ菅さんはこうして26歳の時に秘書としてのキャリアをスタートさせます。彼は神奈川県選出の衆議院議員ですが、なんのゆかりもなかった横浜に来たのはこれがきっかけだったのですね。横浜の政治家の秘書になったのです。これが1975年ごろの話です。

 

  選挙応援の合間にスイーツをとる菅さん(2019年)


ちなみに小此木(おこのぎ)さんという方は横浜を地盤とした政治家で中曽根首相のときに通産大臣とか竹下さんのときに建設大臣とかやってる人です。世代としては、森喜朗・羽田孜・両元首相、小沢一郎さん、故・梶山静六さんとかと同期らしいですね。もし元気であれば今頃は大物だったと思いますが63歳という若さでこの世を去っています。

で、じつはこの小此木さんが菅官房長官を一気に引き立てるんですね。

 

菅さんによると小此木さんの事務所には7人の秘書がいまして、本人いわく菅さんはずーっと7番目の秘書だったらしいんです。ところがあるとき小此木氏が序列最下位だった菅さんを抜擢します。


1983年、中曽根内閣の通産大臣として初入閣した小此木氏は末席の秘書だった菅氏を通産大臣秘書官に起用します。

政治家の秘書という仕事にも格の上下があるらしく、大臣秘書官になってからは「見える世界が変わった」そうです

 

このことについて本人はインタビューで「7人の秘書をどんどん追い越して上に上がっていったんですね?」ときかれても「いえ、ずっと7番目。」とただ答えるだけ。

 

代議士の先生に認められて、通産大臣秘書官としてヨーロッパとかアメリカとかいろんなところに連れて行ってもらい可愛がられている。にもかかわらず決していい気になるところを一切見せません。

 

今回の総裁選に際して、テレビなんかの報道でも「いつから立候補を考えてましたか?」とか「なんで急に立候補したの?」とか聞いてますが、なんか変な質問してるな・・・と感じますね。

 

野心みたいなものを絶対に出さないし、一気に引き立てられたにもかかわらず「ずっと7番目だった」という姿勢を崩さない。

それが彼のスタイルのようです。


しかも本人いわく、そうなっても「まだ政治家になるということは考えていなかった」そうです。大臣秘書官になって、いろいろ考えてはいたようですが、まだ政治家になることは考えてはいなかったのだそうです。

 

26歳の時に「人生を政治にかける」と志を立てているにもかかわらず政治家になることは考えていないという。一見矛盾しているようにも見えますが、それが菅さんのようです。

 

それまで故郷の農家を継ぐかどうかで心が揺れていた菅さんでしたが、このころにその迷いが吹っ切れた、と言っています。「まだ考えていなかった」とはいいつつも、本人の中では将来に向けて、何らかの確信が生まれたのではないでしょうか。

 
◆反対を押し切って市議会へ出馬

秘書として11年間仕事した菅さんは、38歳の時に突如として横浜市議会に立候補します。

 

この時の選挙が人生の中でもとりわけ大変な選挙だったようです。というのも、じつは周囲の反対を押し切っての出馬でした。それまで11年間「右と言われれば右、左と言われれば左、」と秘書をやっていたみたいですが、このときばかりは親分のいうことを聞かなかったようです。

 

小此木先生からも最初は「絶対にダメ!」と言われ、「4年後に立たせてやる」となだめられます。党の人もみんな立候補をあきらめさせようとしたそうですが菅さんは頑として折れませんでした。

 

そこでどんなに言われようと曲げなかった理由については自分でもわからない、と言いつつも「やるんだったら30代のうちに」という考えはあったそうです。


もしここで曲げていたら、「菅総理」はなかったかもしれませんね。(まだ総裁選前ですけど)

菅さんがどうしても引かないので、現職の77歳の議員の方が市議会から神奈川県議に鞍替えして、枠を菅さんに譲るような形になったそうです。票が割れるのを防ぐためにはそうせざるを得なかったようですが、そこまでして引かない強さがこの人にあるのです。

 
◆菅さん流・強運のつかみ方

そしてじつはもう一つここで菅さんを思い立たせた事情があります。

 

というは実は菅さんの立候補した選挙区で市議をしていた77歳の方がいたのです。(おそらく前述の方)その人が息子さんを秘書にして活動していました。そして自分は引退して代替わりしようとしていたところ、たまたまこの息子さんが亡くなるということが起きた。

 
後継者が急に亡くなる、ということが起きたのです。

ここで菅さんは「これも一つの運命か」と捉えました。

 

この絶好のチャンスを逃したらあとはない、このチャンスが今俺に巡ってきたのは運命なのかもしれない…菅さんはあんまりはっきりは言わないですけどそんな感じでしょう。(「歴史もの」の小説的な意味合いらしいです。)

 

――なんだか今と境遇が似てますけど。

 

菅さんはこうも言っています。自分は「一種の運命論みたいなのを持っている」と。つまり人は運命に従って生きていおり、ようするにここでこういう状況が俺に起きるということは、天が自分に事をなせと言っているんだ、というそんな考えがあるのかもしれませんね。とにかく菅さんは「運命」という言葉が好きです。

 

そして運をつかむ男の考え方でもありますよね。強運の持ち主といか目の前のチャンスをつかむ人というのはこういう考え方をするんだ、そしていざというときはこうやって自分を貫くんだなぁ…というよいお手本かもしれない、そうと思いました。

 

自分でもこのときは「運がいい」と思ったらしいですよ。

見た目はほんとに地味で、子供のころから「殻に閉じこもって自分を出さない」とか、成績はとびぬけてなかったとかさんざん言われてますが、ものすごい感覚を持っているんですね。

 

そして地元でも小此木さんの活動を手伝っていく中で自分は「人気がある」という手ごたえも感じていたようです。

 

自分だけは自信があったものの、あとの周囲の人は全員ダメだと思っていたようです。元々よそ者ですし、市議会あたりではやはり地元神奈川、横浜という意識もあります。「あいつは秋田だから落選したら帰るんだ」とか言われてたみたいですね。

そこを一発で当選を果たしました。当時を振りかえって、あの時自分は「奇跡的に勝利」したというふうに語っています。まさに一世一代の大勝負をかけたのですね。

 

地盤・看板・カバンの3バンが選挙には必要と言われるなかで、どれ一つ持たないところからのスタートでした。党の公認をもらえないなか、それでも打って出たのです。

 

自らの「感覚」を信じて。

 
◆ついに政治家に・・・市議会で感じた限界

横浜市議に当選した菅さんは、一期生のころからいうべき時には言う人でした。選挙の経緯が経緯でしたから、怖いものがなかったそうです。長老議員に対してもおかしいことはおかしい、と意見しています。組織的な応援を得られなかったことがプラスに働いたのですね。

 

横浜市議会を2期経験する中で菅氏は地方議会の限界を痛感します。

 

国の許認可権限がひじょうに強く、補助基準なども全部国が決める。ですが基準と言っても都会と田舎ではまったく土地の値段も違う。

 

たとえばこんな感じです。横浜と秋田では何倍も土地の値段が違ったりする。すると国が一つの基準を決めてしまうと、つまりたとえば田舎の基準でなにか決めてしまうと都会では物事が進まなくなってしまいます。

 

保育園にしても老人ホームにしても、国の基準にしたがっているとなかなか立てることができない。(横浜の待機児童の多さについてはかなり有名になってしまいましたが…)

 

そういうところで不満をかなり感じたみたいです。政治家としてのスタートを横浜市議会で切った菅氏は、「根本をただすには、やはり国政をなんとかしなくてはならない」という考えに至り、国政に打って出るのです。


その後、安倍内閣で総務大臣をやったり、地方分権に関与してきたというのはこういう経験が背景にあるということです。

国主導の不便さや矛盾というものを身をもって体験した人です。そのへんは地盤を受け継いだ二代目や学者出身の政治家とは経験の厚みが違うと言っていいのではないでしょうか。


元号を発表する菅官房長官

© 内閣官房内閣広報室 CC4.0





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