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菅義偉ものがたり①~~家出同然に故郷を飛び出した菅さんが政治家、そして官房長官になるまで

菅官房長官がついに立候補することを正式に表明しました。

 

党内の票はほぼ固まっており、すでに菅さんが次の総理になるのはほぼ確実のようです。

 

さてこの菅さんですが一つ謎が。

 

神奈川県選出の政治家にもかかわらずしゃべり方はどうみても神奈川の人ではなさそうだ、と思いませんか?

 

なんか聞きなじみがあるなぁ…と思い調べてみたら案の定、秋田県の雪深い地域の出身でした。

 

 

実は秋田県からはかつて二人、官房長官が出ています。(記憶にある限りですが)

 

官房長官というのは役職の名前からはふだん何をやっているか想像がつきにくいかもしれません。「総理大臣の女房役」だとか、政府のナンバー2だとか言われて当然、首相の信頼がもっとも厚い人でなければなれません。

 

そういう、なんというか女房役とかナンバー2とかいう位置にまではいくんですが秋田県出身の総理大臣というのはいまだかつていません。

 

お隣りの岩手県からは原敬氏とかたくさん首相がでているのに秋田県からはゼロ。安倍総理は山口県の出身ですが、明治政府を作ったのはそもそも長州(山口)ですから、何人も総理が出ています。

 

ですから菅さんが官房長官になったときに秋田の人たちは「おお!でもあぁ、また官房長官か。やっぱりこれが秋田県の県民性なのかなぁ…」と思ったことでしょう。

 

ところが安倍さんが体調を崩したところから、あれよあれよという間に菅さんが総理大臣になろうとしています。

 

じつはかねがね、ひょっとして次の総理は菅さんが本命になるのではないか、と目されていたようです。

 

それにしても「秋田なまり」のおじさんがなぜか都会の選挙区から選ばれて官房長官になっている。

けっして政治家として華があるようにも感じられない。けれども黙々と安倍首相を支え続けている。そんな人が、いつの間にか総理の座につこうとしている。

 

不思議じゃないです?

 

どんな経歴なのか、どんな人物なのか。

 

本人のインタビューやブログでの発言を参照してみると、本当に苦労人というか、エリートとか二代目とはおよそ対照的な人生を歩んできた人なんだな、ということがわかります。

 

これまでの首相とはけっこう違った経歴をたどってきた人なんですね。

 

 

「令和おじさん」は農家の長男に生まれた

 

菅さんは本名は菅義偉(すが よしひで)、最近では「令和おじさん」で一般にもかなり知られたようです。

 

昭和23年12月の生まれですから、終戦から3年後に生まれたことになります。団塊世代ということになりそうですね。

 

お父さんは満鉄の職員で、終戦までは満州にいたようです。お姉さんがお二人いらっしゃって、このお二人は満州でお生まれです。

 

満州から引き揚げてきた後に、秋田県の秋ノ宮というところで菅さんは生まれています。

 

秋ノ宮温泉郷とよばれ、温泉があるということで秋田県あたりではそれなりに知られています。そのかわり、地図を見てみるとわかりますが本当に山間地で、地熱発電の会社とかがあります。筆者も何度か通ったことがありますけれども、ほんとうに夜中とかは真っ暗で一人で走ったら心細いだろうな…という感じです。

 

本人も「雪深いところで生まれた」と語っていますが、ほんとうに…ここの人たちは冬どうやって生きているんだろう?と思います(筆者も豪雪地帯の生まれなので、間違いないと思います。)

 

で、ここの「農家の長男」として菅さんは誕生します。ここはけっこう官房長官の人生というか心をかなり揺れさせたポイントでもあります。

 

「農家の長男は農家を継ぐもの」という意識がずっと菅さんの中にはあったらしく、都会に出てからも「いつかは継がなきゃならないんだから」という感覚は残り続けてたみたいですね。(ただ、お父さんは元・満鉄の職員だったのに菅さんは農家を継がなければならないっていうところはよくわかりませんが。)とにかくお父さんは継がせたかったみたいです。



高校を卒業し、東京へ就職

とにかく中学を卒業した菅さんは県立湯沢高校に進学します。戦後とはいえ、高校に進学するのまだまだ少数派だったようです。

 

高校を卒業した菅さんが選んだ進路は東京での集団就職でした。ちなみに菅さんの同級生は中学卒業後は半数が東京へ集団就職したそうです。

 

ただ別に経済的な理由で就職したというわけではなく、「一度東京を見てみたい」という気持ちが強かったようです。というのも、先述した二人のお姉さんたちはどちらも教師になっています。お姉さんたちだけ上級学校に行かせて長男は就職させる、というのも不思議な話です。

 

やっぱり菅さんは一度東京に出てみたかったんでしょう。親類一族にも教員をする方が多かったようですが「それだけはなりたくなかった」と述懐しています。ただ一方で農家を継ぐのも嫌だった。嫌だったけど、継がなくちゃならない。いずれ継がなくちゃならないんなら、広い世の中を見ておきたい――そんな心境だったみたいですね。

 

「家出同然」に故郷を飛び出した菅さんが高校の紹介で就職したのは板橋区の段ボール工場でした。ここで住み込みで働いた経験が菅さんに人生を考え直すきっかけを与えます。

 

「東京に出てくればなにかいいことがあるだろう」――そう思っていた彼は「そこで初めて現実の厳しさ」を味わいました。当時のことを「一番思い出したくない青春」とまで言っています。そして「このままで一生を終わるのは嫌だ」「もう一回人生をやり直してみよう」と考え、大学に入ります。「やっぱし、大学ぐらいは出ておいたほうがいいんじゃないかな」と考えたそうです。特に何か事件があったとか、深い考えがあってというよりは漠然とした考えからだったそうです。



大学時代――ノンポリで八百屋の車を引く

入ったのは法政大学の法学部政治学科でした。ただ、本人は「大学は別に法政大学でなくてもよかったんです」とこだわりはない様子。働きながらここを卒業します。いろいろなアルバイトを経験し、たとえば築地の八百屋さんで車を引っぱったり、皿洗いとかいろいろやったそうです。

 

(八百屋の車っていうと、リヤカーとか大八車みたいなのでしょうか?ちょっとよくわかりませんが、そんな「八百屋の車」を引っぱったり皿洗いとか若いころにしてた首相って、これまでいたのでしょうか?)

これらのアルバイトの経験を語るときの菅さんの表情はなんとなく言いづらそうです。きっと菅さんの中では他人にドヤれることじゃないのかもしれませんね…。でも、だからと言って仕事を嫌々やっていたわけではなく、「やってやろう!」「挑戦してやろう!」そういう強い気持ちでやっていたそうです。

 

この菅さんという人の話を聞いていて、彼に通底しているなと思うのはなにかやるときにはいつも「挑戦してやろう!」という気持ちが流れているということですね。

 

それは政治家になってからの話を聞いても感じられます。きっと今、総裁選を前にした気持ちも同じなんじゃないかな、と思えます。(そうですよね、菅さん?)

 

大学時代の菅さんは自身を「ノンポリでフラフラしてた」と表現します。そりゃあ、自民党ですから当時の学生運動とは方向性がまったく違いますが、首相になる人から聞く言葉としては驚きます。とにかく、自分のことを若いころ「フラフラしてた」と何回も表現してますね。方向性を定めないかわりに、いろんなことに挑戦していたということなのでしょう。

 

また「ノンポリ」というと、まるで政治に興味がないかのようですが、当時の学生運動・組合運動に共鳴しなかったのでしょうね。政治家としての菅氏も理想の実現を目指す「ステイツマン」というよりは、実務家としての評価が高いように思います。ただただ、目の前のことを精一杯やる、それで精一杯だしそれ以上のことは自分の中にはない――そういうことを何度も口にしています。

 

昨年、安倍政権の次の政権について記者に聞かれたときも「今やるべきことをしっかりやっていくことで目いっぱいですよね」と答えているし、自身が総理をやることも「全く考えていない」と否定するだけ。この姿勢は立候補の表明まで変わらなかったように見えます。ノンポリというか、目の前のことをただ精一杯やっていた、そのことを菅さんに言わせれば「ノンポリ」という言葉になるのかもしれません。

 

菅義偉

2013年、米国国務省撮影



それはともかく大学の政治学科を卒業した菅さんでしたが、そこで最初から政治家を志したわけではありませんでした。それどころかそこで一度、郷里に戻るかどうかまた悩みます。農家の長男としての意識が頭から離れないのです。

 

普通なら地元に帰って就職とか考えちゃうと思います。ですがこの人の思考回路はこうです。

 

「どうせ農家を継がなくちゃらならない、それだったら就職してから行こう」

 

とにかく東京への執着が強いですね。

 

そうして就職したのは電気設備の会社でした。「○○商事です」「○○銀行です」みたいな、社名を告げれば一発でわかってもらえるたぐいの会社ではありません。このときのことについても菅さんは「一度就職した」としか説明していませんが、それもそのはずで一言で説明するのが難しい会社なんですね。

 

「建電設備株式会社」というところで、電気設備関係の会社です。1971年の設立ですから、菅さんはまだ創立から間もないところに入ったことになります。ダムとか河川を管理する電気通信設備、こういった設備を保守・点検する会社だそうです。(いまいちピンときませんが。)

 

ダムとか道路とか河川工事とか…なんか時代の雰囲気を感じますね。

 

この会社で仕事をするうちに、彼の中にこんな思いが芽生えたそうです。

 

「世の中を動かしているのは政治ではないか…?」

 

それまでの経験を通して、なんらかのかたちで、実感したのでしょう。

 

この設備会社で「なんとなく世の中がわかってきた」という菅さんは「世の中をダイナミックに、ドラスティック(劇的)に変えるのは政治だ・・・!」という強い確信を持ち、迷いながらも政治の世界へと舵(かじ)を切っていくことになります。

ですが、だからと言って何か政治の世界に知り合いがあったわけでもありませんでした。コネ、ゼロからのスタートだったのです。

 

そんな菅さんがむかったのは、母校である法政大学の就職課でした。

 

(②へつづきます)

 

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