「呪い」(のろい)かかってませんか?①|丑の刻参りもこわいが、日常にある「呪い」もいつの間にかかかっててけっこうこわい…という話

11月 5, 2020内なる本当の自分,子育て,生き方

子供というのは怖い話が好きらしい。

自分も小さい頃は怖い話とか不思議な話とかが好きで、本で心霊写真を見てはブルったりしてた

これは今も変わらない普遍的なものがあるらしく、うちの小学生の子もそういう本を好んで読んでいる。

そんなこともあってこんな話をすることがある

「ねえお父さん、夜中にカーン、カーン、って釘うってる人を見つけたらヤバいんでしょ?」

なぜかかすれ声で子供がきいてくる。

「ああ、『見ぃたぁなぁ~~!!!』・・・ってやつでしょ?」

「そうそれそれ」

もちろん呪いのわら人形(丑の刻参り)のことを言っているのだけれど

「でも、なんで見られるとマズいんだっけ?」

ということは意外とわかっていなかったりする。

すると子供はこう言う

「え?ああ、あれじゃなかったっけ?たしか見られると、呪う相手に行くはずの呪いが呪った自分にはね返ってくる、そうならないためには見た人を殺さなければならない――とかそういうことじゃなかったっけ?」

ガテンがいった。

「なるほどね、だから見られた人は『みたなぁ~』と怖くなっちゃうんだね・・・」

もちろんなんでそういう話になるのか、理屈が通っているわけではないのだけれどもとにかく納得する。呪いを行っている所を見られちゃいけないのだ。

で、思いもかけずに丑の刻参りのことを小学生から教えられるのだが、やっぱりお父さんは大人になっても怖い話が好きだったりする。

たとえばこんな話

「人を呪わば穴二つ」

話というか慣用句、ことわざみたいなものだけれどもなぜか響きがゾクゾクする。

じつは言葉の意味はいまだによく分かっていないのだけれど、昔ドラマで釈由美子が毎回口にするセリフに反応していた。

釈由美子 yumiko shaku
釈由美子さん wiki commons cc3.0

そんなわけで現実生活には普通に生きている限りは関係ないであろう、この

「呪い」

ということなのだけれども、じつは案外現実にありふれているというお話を今日はしてみたい。

現実に存在する「呪い」

実際の呪いをみて私が印象深かったのは、「サッカーの神様」とも呼ばれたペレの呪いだ。

これはサッカーが好きな人ならば見たことがあるかもしれない。

あるワールドカップの試合でのこと。

ブラジル代表としてペレは試合に出場していた。

その日試合は最後までもつれ、勝敗はPK戦にもちこまれた。

ペレもキッカーの一人に選ばれていた。

PKというのはもちろん、ペナルティーキックで勝負を決めるやり方だ。試合が同点のまま勝負がつかない場合、両チームから各5人ずつ、キーパーと勝負するのだ。ゴールを多く決めたほうが勝ちだ。

ところで、この最後の戦いが始まる前にペレは不思議なことをした。

ペナルティーキック
photo : acworks

相手選手のソックスあたりを、自分のスパイクで踏んだのだ。

「踏む」というか、上から踏むようにして相手チームのキッカーのふくらはぎのあたりをこするように踏んだのだ。

これはもちろん反則ではない。相手にケガをさせたわけでもないし服を破ったわけでもない。そもそもプレー中ですらない。

暴言を吐くわけでも叩くわけでもなく、ただペレは相手選手のソックスを踏んだのだ。せいぜいソックスがズレる程度に――。

じつはこの行為が呪いなのだ。

ペレはソックスを踏み、さらにボールかどこかに唾(つば)を吐きかけていたように記憶する。これが相手が失敗する呪いなのだ。

結果として、この選手はPKに失敗した。その結果、ブラジルが勝利した。

――これが呪いの効果によるものであったかどうかは別として、呪いをかけるシーンを(TVとはいえ)実際に見るのは衝撃的なことだった。

そして事実として相手は失敗している。

これは「呪い」(のろい)とも言えるし、よりソフトに言えば「おまじない(お呪い)」とも言えるかもしれない。

だけれども「まじない」というのは別の言い方をすれば「呪術」とも言うことができる。

ペレは見た目からわかるように人種的にはアフリカ系らしいので、この「まじない」もそういったアフリカ由来の信仰にもとづくものなのかもしれない。(正確にはブードゥー教と同じではないものの、ブラジル版のブードゥー教ともいうべき「カントンブレ」という民間信仰があるそうで、やはりこれも西アフリカの奴隷にされた人々に伝わる伝統を継承している)

逆に言えば「おまじない」といえども、だれかが失敗することを意図したり不幸に陥れようとすればそれはすなわち「呪い」(のろい)になるということなのか。

そして「呪い」を実現するための実際上の儀式や定型の作法を「まじない(呪い)」というのかもしれない。

ところで日常でも誰かのことを「失敗しろ、失敗しろ」と考えたりするのは結構あったりするのではないだろうか。

たとえばスポーツなどで相手チームの選手が放ったシュートが外れることを願う、なんていうのは別に不思議なことではない。

ちなみに、最近落ちぶれから見事に復活を果たしたゴルフのタイガー・ウッズ選手は相手のボールが「外れろ、外れろ」と考えないらしい。

相手のパットを見ながら、逆に「入れ!入れ!」と心の中で叫ぶらしいのだ。

なぜか?

それは相手が成功して、さらにそれをしのいで自分が優勝するのが最高だからなのだそう。(本当のトップ選手というのは考えることが違いますね…)

ところでこのようなスポーツの場面での「呪い」というのとは別に、もっと身近にそして私たちの生活に根付くような形での「呪い」が存在するとしたらどうだろうか?

いや、それは確かに存在するのです

それは家族とか、身近な人々から知らず知らず受けている「呪い」です

これこそが、ある意味では最も恐ろしい

現実的な呪いだと思うのです

――②へ続く

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