「ばんつぁん」が叫んだ日 ~空襲が「女学生」に残したものは
少し前になるが実業家の堀江貴文氏がとあるテレビ番組に出演したさいに着ていた衣装のデザインが波紋をよんだ
堀江氏の服には、あのヒトラーを想起させる人物の似顔絵がプリントされていた
彼はこの服を着て堂々と公共放送のインタビュー番組に、出演した
しかも生放送で、だ
忘れたころにあるようだが、たとえば政治家など有名人がヒトラーやナチスを引き合いに不用意な発言をする
たとえばある人はこんな発言をした
「少しはナチスの手法に学んではどうか」
するとこれに対して轟轟(ごうごう)たる非難がおきる
「非道の独裁者と同じにするな!」
「ナチスやヒトラーと同じにされるのは、欧米ではこれ以上ない侮辱(ぶじょく)」
「話題として触れることすらタブーとされることなのに、無神経すぎやしないか」
・・・と、だいたいこういったことらしい
さて堀江氏がこれらの「常識」をわかっていたかどうか
直接確認したわけではないが
ふだんから拝見する彼の見識からすれば、それはちょっと考えにくい
彼はただ単に「常識に挑戦すること」が好きなだけだ
それがホリエモンをホリエモンたらしめている
ちなみに彼が一番好きなのは、「権力者のはなをあかすこと」だそうだ
そういう一石を投じるのが、彼は好きなのだ
さてホリエモン氏のことは実はどうでもかまわない
しかしヒトラーをプリントした服を着てテレビに出演したことに抗議が殺到しても不思議はないとして
ではもし、彼がフランクリン・ルーズベルト*1の服を着て出演したら、どんな反応が起きただろう?
あるいはトルーマン*2の似顔絵だったら?
あるいはスターリンの似顔絵だったら?
たんに
(・・・あれはいったいどういう意図があるのか?)
という「?」でおわっただろうか
それとも轟轟(ごうごう)たる非難が起きるだろうか
話は変わるが、以前わたしが住んでいた下宿でこんなことがあった
民家を少しばかり建て増ししただけの小さな下宿を切りもりするのは、70歳近い(?)と思われる世話好きの「おばんつぁん」だった
「ばんつぁん」というのは、その地域で”ばあさん”もしくは”年配の女性”といった意味だ
そこには小さな「食堂」があり、下宿生はここで食事をとったあとによく団らんしたりする
「食堂」といってもたんにそこの家の居間に少し長めのテーブルを置いただけ
世話好きの「ばんつぁん」はお話しも好きで、いつも「食堂」にきた学生をつかまえては話し相手にしていた
私もよく捕まっていた
ある日私は朝食をとったあと、向かいに座った経済学部の学生と世間ばなしをはじめた
彼は「一歳年上の同級生」だった
珍しく「食堂」には彼と私の二人だけ
話はいつしか戦争の話題にうつっていった
「なぜ、日本はアメリカとたたかったのか」
「景気がわるくなったせいだ」
「いやアメリカ人はアジアをばかにしているんだ」
なぜかトークは少し熱をおびはじめた
「そうじゃあない、アメリカ人のフロンティアスピリッツのせいだ。アメリカ人は”インディアン”の征服が完了したから、次は日本を征服しようとした…」
「そうじゃない、アメリカ人は…」
二人とも我を忘れていた
空気が悪くなってきちゃった…そう感じたその時だった
「やめてっ!!・・・戦争の話はやめてっ!!」
「ばんつぁん」がつよい口調でさえぎった
「しかしこれは大事なこと・・・」
「やめて!戦争の話だけは嫌いなの、たのむからやめて!!」
あまりのけんまくに、 私たちは議論をストップせざるを得なかった
「食堂」にしばしの沈黙が流れた
彼女がこんなに声を荒げて主張するのは、あとにも先にも、もうこれっきりのことだった
ーー少し化粧はケバいがいつも機嫌のいい「ばんつぁん」。
話好きで人の世話を焼くのが好きな「ばんつぁん」。
もうトシのはずなのにいつも元気でせわしなく動いていた「ばんつぁん」
その「ばんつぁん」をそこまで苦しめたものとは、なんだろう
あとで聞いたところによると「ばんつぁん」の住む街も大都市のご多分にもれず米軍の空襲にあった
当時、女学校に通っていた「ばんつぁん」も被災した
「若いころにいろんなものをみた」
「ばんつぁん」が語ったのは、ただそれだけだった
ばんつぁんの住む街は、今は静かだ
米軍もとっくに引きあげてみんな平和に暮らしている
広島や長崎では、「ばんつぁん」のことをなんと呼ぶのだろうか
「ばんつぁん」は、自分の住む町を空襲するように命じた国の大統領の名前を覚えていただろうか
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